無題

こんな深夜のチラシの裏にでも書くような自分語りを一体誰が読むのだろうか。

分からないが一人で抱えるのにはあまりにも大きすぎるのでここで吐き出そうと思う。

 

 

 

 

 

 

今日、SixTONESのドームツアーが最終日を迎えた。

ドームツアー発表から今日まで色々あったなと思う。

いや、もっと前からか。

SixTONESを好きになった頃から思い出すと前の自分とは考えられない生活を送っている。

SixTONESに出会う前、去年の夏頃。

死にたかった。死のうと思った。

お相手のこともあるので詳しい話は割愛する。

あと普通に思い出したくない。

少し前に話題になった推しの芸人さんにブロックされたnoteがあった。

あのようなことがわたしにも起こったと思ってもらっていい。

SixTONESそして髙地優吾を好きになっていなければあのnoteを書いた彼のように、わたしももう繋がりがない人間にいまでも固執していたのだと思う。

SixTONESに出会う直前のわたしはひどく絶望していた。

人生で一番と言っても過言ではない。

全てが敵に見えた。

楽しいも嬉しいももうよく分からなかった。

もう人生を投げ出したかった。

ただ偶然SixTONESに出会った。

そこから見える世界がどんどん綺麗になった。

SixTONESに出会う直前はいつも泣いてたのに、SixTONESに出会ってからは自分でも驚くほどに環境が変わっていった。

SixTONESを好きになった頃、事務所が大問題を起こし「好き」と言うだけで後ろ指をさされた。

それでも好きになった気持ちに嘘をつきたくなかった。

だから何を言われてもSixTONESを信じた。

信じていたらどんどん変わっていった。

仲良くなれないと思ってた職場の人が実はSixTONES推しで仲良くなった。

職場でも「よく笑うようになったね」と言われた。

弟にも「喋り方が穏やかになった」とも言われた。

配信で恐る恐る「SixTONESが好き」と話すと「先輩グループが好きだった」と言われた時はすごく安心した。

どんどん変わっていく環境や自分に我ながら驚く。

何度もこの人生はわたしのものなのかと思うが、見える視界はわたしにしか見ることができない視界であることが答えだろう。

スマホにあるSixTONES聖地巡礼や舞台、コンサートの写真、部屋に飾ったあるグッズ、鏡に映る髪を染めた自分。

人は一つの偶然でこんなにも変わるのかと少し笑えてくる。

SixTONES好きになった頃、まさか自分がコンサートに行くなんて一ミリも思わなかった。

そして今日はドームツアー最終日。

これは見事に落選したので自分が当選した時のコンサートを思い出し、今日一日を過ごした。

帰り道で「こっから」を聴きながら歩いた。

コンサートで「こっから」のパフォーマンスを見た時にいろいろ思い出して楽しいのに号泣しながら見たことを思い出し、また泣きそうになった。

自分の人生で最も影響を与えたのは「こっから」だと思う。

 

本当に今日までいろいろあった。

あんなに死を強く願っていたわたしなのに、あの頃の自分とは想像できないくらいたくさん笑って人生を楽しんでる。

でもあの時期があったから誰よりも「楽しい」「幸せ」「面白い」というポジティブな感情を大切にできる。

「楽しい」「幸せ」「面白い」を感じるたびに、この感情はなんて綺麗で美しく素晴らしい感情なんだろうと思う。

もう一度感じられることが本当に嬉しい。

 

過去のことで不安や恐怖で押しつぶされそうになる。

でも「逃げたくなったら逃げてもいい」とSixTONESが教えてくれたからもう大丈夫だと思う。

不穏なタイトルで驚かせたと思う。

果たしてここまで読んでる人がいるかは分からないが。

最後に言えることは、わたしはSixTONESに出会って幸せで楽しい毎日を送っている。

だからそう簡単に人生を投げ出すことはない。

 

無題

 

 

 

 

完全に舞い上がっていた。あの瞬間までは。


1/12、SixTONESのライブツアーチケットの当落日。
結果は、大阪公演当選。
噂によると当選確率は、約40%。
それを潜り抜けたわたしは、最高に幸せな女だと思った。
あと1ヶ月と数日頑張れば大好きな推しと会えると思うとまるで恋をした乙女のような気持ちになった。
仕事中はずっとライブの日まであれをしよう。これをしよう。と考えていた。
ふと離れて暮らしている家族に電話しようと思った。
わたしは仕事が終わるのが遅いため、家族と電話はなかなかしなかった。
だけど家族はわたしがSixTONESを好きなのを知っている。
お正月に実家に帰った際に、元旦限定のアルバムCMを見て号泣したわたしに対して弟が「悲しい涙じゃなくてよかった。これからSixTONESといろいろな景色を見れるね。」と声をかけてくれた。
きっと当選を報告したら喜んでくれるだろう。
仕事を終え帰宅する足取りは軽かった。
気を抜いたらスキップでもしてしまいそうなくらいだった。

帰宅し母親に電話して当選報告をした。
母親は喜んでくれた。
弟にも報告しようと母親に弟を呼ぶようにお願いした。
弟に当選報告をすると
「よかったじゃん。楽しんできてね。」
と嬉しそうな弟の声が聞こえた。
ライブが終わったらたくさんライブの感想を話そうと思った。
しかしまさかこの会話が最後になるなんて全く思ってもみなかった。

わたしは好きになると好きなものの話しかしなくなる。
大体の人は呆れながら聞く人が多い。
それもそうだ。所詮ヲタク語り。
興味のない話題に食いつく人間なんて少ないだろう。
アイドルとなれば登場人物が多くなるから尚更そうなるのも頷ける。
しかし弟は違った。わたしがSixTONESの話をすると楽しそうに聞いてくれた。
お正月にブックオフで現在出回っていないSixTONESのアルバム「1ST 原石盤」が手に入った。
あまりにも嬉しくて弟の車に戻って早々にアルバムを流した。
YouTubeでよく見ていたライブ映像の曲が流れてきた。
あまりにも興奮して運転している弟の横で一つ一つ楽曲とSixTONESというグループの説明をした。
弟は「うんうん。」と聞いてくれた。
わたしは何度か不安になり「この話面白い?」と問いかけると、
「大丈夫だよ。続けて。」と話の続きを促してくれた。
アルバムを聴き終わり、楽曲とグループの説明が終わったと言うと「すごいグループだね。漫画やドラマみたい。」と笑ってくれた。
優しい子だなと思った。この前まで仲違いしたことが嘘みたいだった。
きっとこれから実家に帰って弟に会うたびにわたしが興奮気味にSixTONESの話をして、それを楽しそうに聞く弟を想像していた。
ライブの感想もきっと楽しそうに聞いてくれると思った。

家族との電話が終わり、気づくと1/13になろうとしていた。
1/13の深夜にSixTONESがテレビでパフォーマンスをする。
その時間まで適当に暇つぶしでもしていようと思った。
Instagramを開く。
ストーリーを見終わると広告が流れた。
いつもSixTONESの広告が流れると見逃さないようにしていたのだが、誤タップしてしまい広告を閉じてしまった。
一瞬見たその広告は推しメンバーの髙地優吾の広告だった。
「昨日が幸せだったからきっと今日は嫌な日になるんだろうなあ。でも当選したから大丈夫〜!」なんて呑気に考えていた。

知り合いの配信が始まったため、その配信を聴きに行き、SixTONESのライブチケットが当たったことを話した。
やはり呆れられた。
それが当たり前の反応だった。
それでもよかった。
それほどわたしの中でSixTONESのライブツアー当選は嬉しかった。
SixTONESがTVでパフォーマンスする時間が近づいた為、配信を抜けてテレビに集中する。
相変わらずSixTONESの楽曲はかっこいいし、推しの顔は最高だった。
パフォーマンスを見終えて、ゴロゴロした後に歯を磨いた。
その最中だった。
姉から着信が入った。この時間に珍しいと思った。
姉にはLINEのメッセージで当選報告をした。
「当選をお祝いしたい気持ちは分かるけど時間考えてよー!寝てたら怒ってたよ!まぁ、当選したからいいけど!」なんて完全に舞い上がっていた。あの瞬間までは。
姉からの電話に出る。
第一声が悲鳴のような声だった。
ただはっきりと何を言っているかは聞こえた。
「弟が息をしていない」と。
何を言っているかは聞き取れた。
しかし言葉の意味がよく理解できなかった。
何回か聞き返した。
聞き返しても返ってくる答えは同じ。
「弟が息をしていない」

 

「落ち着いたらまたかけ直す」
そう言われて電話が切られた。
「わたしが舞い上がってたから調子乗るなって家族が嘘でもついてるのかな。冗談でも笑えないけど。」と本気で思った。
とりあえず布団に潜り時間が経つのを待った。
姉から再び電話が来た。
姉はやはり悲鳴のような泣いた声で全く落ち着いてなかった。
しかし状況を説明してくれた。
はっきり言ってここら辺の記憶はよく覚えてない。
後日談になるが姉によるとこの時わたしはLINEを拒否したらしい。
気づくと姉からただひとことメッセージが入っていた。
「弟、だめだった」と。
メッセージで何回聞き返しても「だめだった」「ごめん」しか返ってこなかった。
死因は「くも膜下出血」だった。
正直何が起こっているのか分からなかった。
とりあえずこれからの精神状態は良くないものになるというのは分かったため、Xで報告のポストをした。
本当は信用している誰かに話を聞いてほしかった。
一人でいるのが不安だった。
しかしこの時間だ。みんな寝てるだろう。
完全に気が参っていた。
報告ポストに一件いいねがついたがすぐ取り消された。
しかしわたしはもうその子に縋るしかなかった。
最近、その子と連絡をとっていたというのもありすぐにDMを送った。
その子はゆっくりと話を聞いてくれた。
わたしはただ淡々とメッセージを送った。
一人暮らしになってはじめて身内が亡くなった。
その時の会社にどう対応すればいいかも教えてくれた。
人との繋がりは常日頃ありがたいと思っている。
しかし今回ほどありがたいと思ったことはない。
話を聞いてもらい、ひとまず落ち着いたところで寝ようと思った。
いろいろと考えすぎてしまい眠れなかったが。

翌朝、お店とわたしの以前の名前を知っていて、弟のことも知っているネット上の関係の人達に弟が亡くなったと報告をし、帰省する支度をした。
正直何日泊まるかわからなかったので余分に荷物をまとめて、アパートを出た。
帰省する電車の中で泣かないように必死だった。
こんな形で地元に帰りたくなかった。
電車に乗っている時、「弟の顔が見るのが怖い。見てしまったら弟の死を認めてしまうことになる。ずっと電車の中にいたい。」と思った。

電車から降り、駅から出ると姉夫婦が車でお迎えに来てくれた。
車の中で詳しく話を聞いた。
個人的な話なので詳細は省くが、ただ胸が酷く傷んだ。

葬儀場に着き、弟と再開した。
弟の顔を見ると微笑んでいるように感じた。
わたしがそう望んだからそう見えたのかは分からないが。
どこかの漫画で「きれいな顔してるだろ。ウソみたいだろ。死んでるんだぜ。それで。」という台詞が頭をよぎった。
本当に綺麗な顔だった。
一緒に暮らしてた時の朝みたいに、名前を呼んで揺さぶれば「んー?なにー?」と目を擦って起き上がる気がした。
しかし本能的に触ってはいけないと思ったので、名前を呼んだ。
何も返事は返ってこない。目を擦るだろうと思った腕すら上がらず身体もピクリとも動かない。
弟の死を受け入れるしかなかった。
隣では母親と姉が大きな声で弟の名前を呼び子供のように泣きじゃくっていた。
わたしも大声をあげて泣きたかった。
しかしそんな二人の姿を見て「ここでわたしも泣きじゃくってしまったら、弟が心配してあの世にいけないな」と思った。
わたしはテーブルの端っこに移動してただ涙を流した。
時間が許す限り家族と弟と一緒の部屋にいた。
少しだけ我儘を言い、弟と二人きりにさせてもらった。
ぽつりぽつりと弟に話しかけた。
当たり前だが返事はない。
分かっていても話しかけ続けた。
弟が亡くなってもそばにいたいと思った。
家族に部屋に戻っていいよと伝え、弟の遺骨を少し分けてもらいネックレスにいれないかと提案した。
家族は承諾をしてくれた。
葬儀場が閉まる時刻になり、わたしはどこに泊まるのかという話になった。
しばらく姉夫婦の家でお世話になることになった。

姉の部屋を借りて一人になった。
知り合い達に弟の死亡を報告した際に「誰かの配信に行くかもしれない」と話したが、「自分がその場にいたら暗い気持ちにさせてしまうかもしれない。気を使わせるのでは。」と思うと誰の配信にもいけなかった。
もう残された逃げ道はSixTONESしかなかった。
丁度その日はSixTONESオールナイトニッポンが放送される日だった。
放送時間になりradikoを開く。
SixTONESオールナイトニッポンは、田中樹というメンバーがメインパーソナリティでもう一人週替わりにランダムでメンバーが入れ替わる形だった。
田中樹の挨拶の共に聞こえた声は、髙地優吾の声。
わたしの推しメンバーである。
偶然でも嬉しかった。
去年好きだった人と離れた際、髙地優吾のソロ曲に救われて以来髙地優吾の声を聴くと安心するようになった。
楽しいラジオなのに涙が止まらなかった。
ずっと笑いながらも泣きながら聴いていた。
ラジオが終わり、アプリを閉じた。
泣き疲れたのか笑い疲れたのかわからないが、一気に眠気が襲いかかり気づくと朝になっていた。

翌日も家族と弟と共に時間が許す限り一緒の部屋にいた。
いろいろと弟のことを思い出す。
自然と涙が溢れた。
堪えきれずに思わず部屋を出て、外で大きな声で泣いた。
田舎のため人通りが少なかった。
田舎でよかったと思った。
家族や弟の前で大きな声で泣きたくはなかった。
誰のことも不安にはさせたくなかった。
わたしの性格は頑固なもので、周りの人間が許してもわたしがダメだと思ったらダメなのだ。
全くもって厄介な性格だなと思った。

葬儀屋の閉まる時間になり、姉夫婦の家に帰宅する前に母親と弟が住んでいたアパートに寄って遺品を整理した。
弟の部屋に入ると散らかってはいたが、配信活動を頑張っていた跡があった。
弟のギターや配信機材はわたしが貰うこととなった。
弟の部屋で一緒にゲームしたことを思い出した。
弟の部屋で一緒にアニメを見たことを思い出した。
家族の前で涙を流すわけにはいかなかったので必死に堪えるしかなかった。


姉夫婦の家に帰宅し再び一人になった。
相変わらず配信を聞く元気はない。
SixTONESの音楽を聴くことにした。
SixTONES新作アルバムのユニット曲で髙地優吾とジェシーの「Blue Days」という曲がある。
その曲を聴いて大声で泣いた。
家族の前で涙を流さないようにしていた。
勝手に自分で決めていたその状況に精神的に追い詰められていた。
「Blue Days」はそんな自分を認めてくれるような歌詞、髙地優吾とジェシーの暖かく優しい歌声が胸に響いた。
新作アルバムを購入してからずっと聞いていた「君がいない」。
弟の死を聞いてから「君がいない」を聴くことを避けていたがどうしても頭から離れなかったので久々に聞いた。
歌詞が現状と刺さり涙が止まらなかった。
こんな形で歌詞の意味を理解したくなかった。
この日も泣き疲れたのか気づくと朝になっていた。

弟と顔を合わせる最後の日。
また家族に我儘を言い20〜30分ほど弟と二人きりになった。
二人きりになれば弟が起きて笑いかけてくれると思った。
優しいがイタズラ好きな子だ。
「もう怒らないから起きていいよ。」
そう声をかけたが返事はない。
頬でも叩けば起きると思った。
優しく頬を叩き名前を呼んだ。
やはり起き上がらなかった。
頬が冷たいのは冬のせいだと思いたかった。

もう誰にもどう思われてもよかった。
ただ泣いて弟に思いをぶつけるしかなかった。
ひとしきり泣いたあと、弟の好きな音楽を何曲か流した。
喜んで起きると思ったからだ。
何度やっても結果は同じ。
ただ部屋に弟が好きな音楽が流れるだけだった。
部屋に家族を戻し、可能な限り弟と過ごした。
納棺の際、手を握った。
小さくて暖かかった手は、気づいたらわたしよりも大きくなっていた。
そして冷たくなっていた。


お葬式当日。
弟と別れる時間が近づくにつれ気分が沈んだ。
涙を流さない為に感情を隠すしかなかった。
終始無表情で過ごした。
最後までこんな姉で申し訳ないと思ったが、わたしのことをよく知っていて優しい弟であれば理解してくれると思った。
火葬場に到着し、最後に弟の顔見た。
自分の中で何かが切れた音がした。
途端に涙が止まらなくなった。
そんなわたしを見て先ほどまで泣きじゃくってた姉がそっと抱きしめてくれた。
その優しさにまた泣いてしまった。
涙が溢れて止まらない。
声を抑えることもできなかった。
号泣しているわたしを姉は泣きながら抱きしめてくれた。
近くにいた姉の旦那は、そんなわたしたちを包み込んでくれるように抱きしめてくれた。
大きな身体に安心してしまい、呼吸ができないほど泣いてしまった。
最終的に立つことが出来なくなるほど過呼吸になってしまった。
家族のために弟のために泣かないようにしていたのに最後の最後でこんな姿になってしまい弟に心配かけてしまったなと思った。
正直過呼吸になってからの記憶はあやふやである。
気づいたら控え室に移動していた。
火葬が終わり骨になった弟を見て、全てが終わったのだと思った。
本当にこの世から弟がいなくなったのだと実感した。
細かくなった骨の粉をペンダントに入れてもらい受け取った。
弟はいなくなってしまったがこのペンダントがある限り弟は近くにいると思った。


一人でいると間違った方向へいきそうなので翌日の夜には仕事に行った。
正直職場に行くのが怖った。
「弟を亡くした社員」として見られて、わたしがその場にいたら空気が重くなるのではと不安と緊張でいっぱいになった。
出勤するとバイトの子から「体調不良だったんですか?」と聞かれた。
この子は知らないだけかなと思いとりあえず体調不良で休んだと話し、後日社員の子に誰がわたしの状況を知っているのかと聞いたら「店長が体調不良(人によっては家庭の事情)で休んでたって話してたよ」と言われた。
ありがたい話だと思った。
働いてたらムカつくことももちろんあるがこういうところを見るとここで働いててよかったなと思う。
その日の夜、機材の譲渡の話でとある人と連絡をしていた。
その話の流れでこの数日の自分の心境を聞いていただいた。
メッセージでのやり取りなのにその人の言葉が優しくて気づけば泣いていた。
本当に人との繋がりというものは大切だなと思った。
恐らく一人でこの気持ちを抱えていたら押し潰されていただろう。
弟が亡くなった際に連絡取った子も帰宅してから話を聞いてくださったその人のやりとりを見返すとわたしは支離滅裂なことを言っているのに二人はただ聞いてくれた。
二人がこれを読んでいるかはわからないが、勝手に書いてごめん。
それと夜遅くまでわたしの話を聞いてくれてありがとう。

弟との日々を思い返す。
弟とわたしは2歳違いだった。
だから弟が生まれた喜びを知らない。
物心ついた時から気づいたら弟がいた。
2歳違いではあれどまるで双子のようだった。
喧嘩はよくしたが、周りの人にもよく「仲がいいね」と言われるほど仲が良かった。
わたしの以前の配信活動では、「ごーれむ」という名前でわたしの配信をよく来てくれた。
配信者の知り合いにも「仲がいいね」とよく言われた。
表では弟が配信で来るのを嫌がってはいたが、どこか嬉しかったのかなと今振り返ると思う。
しかし些細なことで仲違いを起こし、わたしはやりたいことがあるといい一人暮らしを決めて就職した。
去年の12月まで弟とのLINEのやり取りは4月で止まっていた。

わたしの心境や環境の変化もあり、去年の12月の弟の誕生日の数日後、母親に電話をし恐る恐る「弟と話がしたい」と伝え、弟と話した。
弟に謝罪をし、誕生日を祝い、近況を報告した。
弟は優しい声で「大丈夫だよ」「前より明るくなって楽しそうだね。よかった。」「前はずっと怒ってる感じだった。」と言ってくれた。
そこから他愛のない会話をした。
弟との確執は解消された。

数日後、LINEで「お正月こっちに帰れる?行きたいところあれば連れて行くよ。」とメッセージが来た。
お正月に帰れることと行きたい場所をメッセージで送った。

お正月になり昼頃に地元に着いた。
母親に「お母さんが作ったシチューが食べたい」と前日に伝えていたため、家に着くとシチューが用意されていた。
母親が作った大きいお肉が入った大好きなシチューだ。
そのシチューを食べている横で弟が床に座りながらギターを弾いていた。
わたしより後に始めたのにわたしより上手くなってるし。なんならアルペジオも弾けてるし。
動画を撮ろうと思ったが次会った時もっと上手くなってから撮ってもいいかなと思った。
次なんて来なかったが。
なんの曲を練習しているのかと聞くと「結束バンドの「星座になれたら」を練習してる。歌詞がすごく好きなんだよね。」と話してくれた。
シチューを食べ終わると弟はわたしが行きたいところ全ての場所に本当に連れてってくれた。
いつも助手席は母親が乗っていたのだが、母親は珍しく「あなたが隣に乗りなさい」と言ってくれたのでわたしが助手席に乗ることになった。
ずっとSixTONESの楽曲を流し、たまにライブDVDも流した。
わたしは免許を持っているが、運転はできない言わばペーパードライバーだ。
これからも地元で行きたいところがあったら弟の運転で行けると思っていた。
本当は日帰りで帰るつもりだったが帰るのが怠くなったため、その日は実家で夜を過ごし次の日の朝に帰ろうと思った。
朝になり、弟の運転で駅まで連れてってもらった。
「またね」と手を振ると弟も「またね。元気でね。」と手を振り返してくれた。
これが弟と顔を合わせる最後の日になると思わなかった。
当たり前にまた会う日が来ると思っていた。

弟の死を実感すると、大切な片割れがなくなった気分になった。
寂しくて悲しくて孤独になった気分だった。
家族は弟だけではない。
ありがたい話で母親も父親も姉も生きている。
友達と呼べる人もいる。
しかし母親のそばには父親がいて、姉のそばには旦那さんがいた。
わたしのそばにいた弟はもういなくなっていた。
わたしの弟はあの子だけだ。
もうわたしをお姉ちゃんと呼んでくれる子はいなくなってしまった。
しかし弟がいなくなったから後を追おうとは思わなかった。
むしろ長生きしようと思った。
これから長生きしてして弟の分まで幸せになってやりたいことやっておばあちゃんになって弟に再会したらたくさん思い出話をして「ドラマみたいな人生だね」と笑ってもらおう。
人を笑顔にするのは好きだ。
だからもう一度弟に会った時に笑顔になってもらう人生を送るのが夢となった。

あの日直感で感じた「嫌な日」の嫌な出来事が弟をなくすことなんて嫌な出来事にしては大きすぎると思った。
弟の名前を泣き叫んで戻ってくるのであれば声を失うまで泣き叫ぼう。
身体の一部を差し出して弟の命が戻るなら喜んで差し出そう。
しかし現実というものはあまりにも残酷なもので一度止まった心臓は二度と動かない。
もう何をしてもあの日には戻れない。
前にしか進む道はないのだと思う。
神様が明日を与えてくれれるのであればわたしはその日を過ごそう。
弟が過ごせなかった明日をわたしが思う存分楽しんで過ごそう。
弟はもういない。
だけど弟の遺骨が入ったネックレスをつけていればそばにいる気がした。

 

 

 

 

 


どうかこの世で苦しい思いをした分、あの世で楽しんで。
この世はわたしが楽しむから。
残された家族はわたしが支えるから安心してほしい。
もしもわたしが弱いと心配してるならこれから誰よりも強くなるから。
だから天国で見守ってて。

ありがとう。またね。おやすみ。